生後7か月の男の子を抱いたお母さんが、診察室に入るなりこうおっしゃったことがあります。
「下の歯が2本、白いのがのぞいてきて。それで、何をすればいいのかまったくわからなくて来ました」
抱っこされている本人はというと、私の白衣のボタンを一心に引っぱって、まるで他人事という顔でした。
文京区で歯科医院を開いております、小田切陽子と申します。
開業してもうすぐ20年、この「はじめての歯」のご相談を数えきれないほど受けてきました。
みなさんだいたい同じことをおっしゃいます。
歯みがきをしたほうがいいのはわかる、でも、いつから何をどこまでやればいいのかがわからない、と。
この記事では、生える時期の目安、ガーゼでのケア、フッ素の使い方、それから意外と知られていない安全面の注意点までを順番にお伝えします。
どれも今日から気負わずに始められることばかりです。
目次
赤ちゃんの歯は、いつごろ生えてくるのでしょう
下の前歯から、生後6〜9か月ごろが目安
赤ちゃんの歯は、下の真ん中の2本から生えはじめます。
時期の目安は生後6〜9か月ごろ。
そのあと上の真ん中の2本が続き、少しずつ本数が増えていきます。
日本小児歯科学会の産まれてから2歳頃までによると、最後に生えてくるのは上のいちばん奥の歯で、2歳半ごろが目安です。
20本の乳歯がそろうまでには、3年近い時間がかかります。
| 生えてくる歯 | 時期の目安 |
|---|---|
| 下の前歯(真ん中の2本) | 生後6〜9か月ごろ |
| 上の前歯(真ん中の2本) | 生後10か月ごろ |
| 前歯の隣の歯 | 1歳前後 |
| 前から4番目の奥歯 | 1歳4か月ごろ |
| 糸切り歯 | 1歳半ごろ |
| いちばん奥の歯 | 2歳半ごろ |
「まだ生えない」の多くは個人差の範囲
「よその子はもう生えているのに、うちの子だけ生えてこないんです」というご相談も、本当によくいただきます。
ただ、生える時期の個人差は大人が思うよりずっと大きいものです。
生後4か月で生えてくる子もいれば、1歳の誕生日を過ぎて1本目が顔を出す子もいます。
学会が受診の目安としているのは1歳3か月ごろ。
それを過ぎても1本も生えてこないなら、一度歯科で相談してください。
裏を返せば、それまでは「この子はこの子のペース」と構えていて大丈夫です。
よだれ、機嫌の悪さ、いわゆる「歯ぐずり」
歯が出てくる前後は、よだれが急に増えたり、何でも噛みたがったりする子がいます。
歯ぐきがむずむずして落ち着かないのでしょう。
夜泣きが増えて「歯ぐずり」に悩まされるご家庭も少なくありません。
ただし、歯が生えること自体が高い熱を出す原因にはなりません。
発熱が続くときは、別の理由を疑ってください。
歯のせいだと思い込んで様子を見ていると、小児科の受診が遅れることがあります。
最初の一歩は、歯みがきではありません
まずは口をさわられることに慣れてもらう
歯が生えたと聞くと、多くの方はすぐ歯ブラシを買いに走ります。
けれど私が最初におすすめしているのは、機嫌のいいときに清潔な指で口のまわりや歯ぐきをやさしくさわってあげることです。
赤ちゃんにとって口の中は、とても敏感な場所です。
そこにいきなり硬いものが入ってくれば、驚いて泣くのは当たり前だと思いませんか。
「口をさわられても怖くない」という記憶をつくっておくと、そのあとの歯みがきがぐっと楽になります。
ガーゼでの拭き方
歯が数本のうちは、ガーゼで拭くだけで十分です。
道具もほとんど要りません。
- ガーゼか市販の口腔ケア用シートを、ぬるま湯で湿らせて指に巻く
- 抱っこか、ひざの上で仰向けの姿勢にする
- 生えている歯の表と裏を、1本ずつ軽くなでる
- 歯ぐきは無理にこすらず、触れる程度でよい
- 嫌がったらその日はそこで終わりにする
回数は1日1回、機嫌のいいタイミングで構いません。
授乳のたびに拭かなければ、と気を張らなくて大丈夫です。
歯ブラシは「ちょんちょん」から
ガーゼに慣れてきたら、乳児用の歯ブラシに移ります。
学会も、1〜2回ちょんちょんと歯に触れる練習から始めるようすすめています。
最初から全部の歯をきれいにしようとしなくていいのです。
うちのクリニックでは、赤ちゃん自身に歯ブラシを握らせて、おもちゃのようにしゃぶらせるところから始めていただきます。
そのうち親が磨いても嫌がらなくなる子が多いです。
急がば回れ。この遠回りが結局いちばん早いと感じています。
フッ素の使い方は、数年前に変わりました
生えたらすぐ1000ppm、量は米粒くらい
2023年1月、日本小児歯科学会をはじめとする4つの学会が合同で、フッ化物配合歯みがき剤の使い方についての提言を発表しました。
それまで「6歳未満は500ppm」とされていた基準が、ここで大きく変わっています。
現在すすめられているのは、フッ化物配合歯磨剤の推奨される利用方法についてにある通り、歯が生えたときから1000ppmのものを使うという考え方です。
1000ppm未満ではむし歯を防ぐ効果がはっきり確認できない、という国際的な研究の積み重ねが背景にあります。
濃度を下げるのではなく、使う量を年齢に合わせて減らす。それが今の考え方です。
| 年齢 | フッ素の濃度 | 1回に出す量 | 使ったあと |
|---|---|---|---|
| 歯が生えてから2歳まで | 900〜1000ppm | 米粒くらい(1〜2mm) | ティッシュやガーゼで拭き取る |
| 3〜5歳 | 900〜1000ppm | グリンピースくらい(5mm) | 拭き取る、またはうがいができれば水で |
ドラッグストアには1500ppmの製品も並んでいますが、こちらは6歳未満の子には使わないでください。
パッケージの裏に濃度が書かれていますので、買う前に一度ご確認ください。
うがいができない子は「拭き取る」
「うがいができないのに歯みがき粉なんて使えません」とおっしゃる方がいます。
私も以前はそう考えていました。
でも今は、うがいをしないほうがむしろ理にかなっているとわかっています。
米粒ほどの量なら、口に残るフッ素はごく微量です。
歯みがきのあとは、ティッシュやガーゼで歯の表面を軽く拭き取るだけで構いません。
水でしっかりすすぐと、せっかくのフッ素まで流れてしまいます。
歯科医院でのフッ素塗布は1歳から
ご家庭のケアに加えて、歯科医院で受けるフッ素塗布も心強い味方になります。
厚生労働省の情報サイトにあるフッ化物歯面塗布の解説では、乳歯のむし歯予防として1歳児から行われ、年2回以上続けることが目安とされています。
定期的に受けた乳幼児で、むし歯がほぼ半分に減ったという報告も紹介されています。
生えたばかりの歯は表面がまだやわらかく、フッ素を取り込みやすい状態です。
だからこそ、生えた直後に塗るのがいちばん効きます。
下の前歯が顔を出したら、そろそろ歯科デビューを考えてみてください。
むし歯予防で、本当に気にしてほしいこと
食器を分けても、むし歯は防げません
「スプーンを分けて、フーフーもしないようにしています」
そう話すお母さんに、私はいつもこうお伝えしています。
そこまで神経質にならなくても大丈夫ですよ、と。
2023年、日本口腔衛生学会が乳幼児期における親との食器共有についてという見解を出しました。
食器を共有しないことでむし歯を防げるという科学的な根拠は、必ずしも強くない、というものです。
生後4か月の時点ですでに母親の口の中の細菌が子どもに伝わっているという研究もあり、そもそも食器だけを避けても防ぎきれるものではありません。
では何が有効なのか。
砂糖のとりすぎを避けること、毎日の仕上げみがきで歯垢を落とすこと、フッ素を使うこと。
そして、親御さん自身が歯科健診を受けて、自分の口を健康に保つこと。
地味に思えるかもしれませんが、この4つのほうがはるかに確かです。
夜の授乳と、上の前歯
むしろ気をつけていただきたいのは、寝ながらの授乳や哺乳瓶のほうです。
眠っているあいだは唾液がほとんど出なくなり、口の中を洗い流す力が落ちます。
そこに母乳やミルクが長くとどまると、上の前歯の裏側から溶けはじめてしまいます。
上の前歯の裏は、親御さんからいちばん見えにくい場所でもあります。
気づいたときには茶色く変色していた、というケースを何度も見てきました。
夜間の授乳をすぐやめる必要はありませんが、寝る前の仕上げみがきだけは習慣にしておくと安心です。
甘い飲みもののはじめかた
イオン飲料や乳酸菌飲料を、水がわりに哺乳瓶で与えているご家庭がときどきあります。
体調を崩したときの水分補給には役立ちますが、日常的に飲ませるものではありません。
だらだら飲み続ける状態が、いちばん歯に負担をかけます。
甘いものを一生与えないというのは無理な話です。
時間を決めて、飲んだら区切る。
それだけで、むし歯のできやすさはずいぶん変わります。
仕上げみがきを、安全に長く続けるために
歯ブラシをくわえたまま歩かせない
乳幼児の歯みがきには、事故の心配もあります。
消費者庁が注意を呼びかけている歯ブラシがのどに刺さる事故では、いちばん多いのが1〜2歳という報告が紹介されています。
東京消防庁の管内だけで、5歳以下の子どもが5年間に182人も救急搬送されたそうです。
歯ブラシをくわえたまま歩いて転んだ、椅子から落ちた。
そうした事故で、上あごやのどの奥に深い傷を負った例が報告されています。
歯みがきのあいだは床に座らせて、そばで見ていてあげてください。
のど突きを防ぐ設計の乳幼児用歯ブラシを選ぶのも有効です。
上唇小帯に歯ブラシを当てない
上唇の裏側から歯ぐきに向かって、細いすじが伸びているのがわかりますか。
上唇小帯というもので、赤ちゃんのうちはこれが太く、前歯のすぐそばまで下りてきています。
ここに歯ブラシが当たると、かなり痛いのです。
上の前歯を磨くときは、人差し指をすじの上に横に置いてガードしてください。
歯みがきを急に嫌がるようになった子を診ると、ここに小さな傷ができていることがよくあります。
一度痛い思いをさせると、取り戻すのに何倍も時間がかかります。
嫌がる日は「今日はここまで」でいい
最後に、いちばんお伝えしたいことを。
歯みがきを嫌がって泣く赤ちゃんを、押さえつけてまで仕上げようとしなくていいと私は思っています。
ひざの上に仰向けに寝かせる姿勢が基本ですが、それを嫌がるなら、いつもの横抱きのまま磨いてもかまいません。
今日は下の前歯だけ、明日は上も。
そんなふうに少しずつでも、歯みがきが毎日の生活の一部になっていれば十分です。
20年診療を続けてきて感じるのは、完璧に磨けている子より、毎日なんとなく続いている子のほうが結果的に歯を守れているということ。
0歳のうちに目指すのは、きれいに磨くことではなく、口をさわられても平気な子に育てることです。
まとめ
赤ちゃんの歯は生後6〜9か月ごろ、下の前歯から生えてきます。
最初にすることは歯みがきではなく、清潔な指やガーゼで口にさわられることに慣れてもらうこと。
歯が生えたら1000ppmのフッ素入り歯みがき剤を米粒くらい使い、うがいのかわりに拭き取ってあげてください。
食器を分けることに神経をすり減らすより、砂糖の与え方と毎日の仕上げみがき、そしてフッ素に力を注ぐほうがずっと確実です。
歯ブラシをくわえたまま歩かせないこと、上唇小帯に当てないこと。この2つも忘れずに。
はじめての歯が生えてきた今は、これから何十年も使う口を育てるスタート地点です。
とはいえ、気負わなくて大丈夫。
下の前歯が2本のぞいてきたら、近くの歯科医院にお顔を見せに来てください。
何もなくても、それでいいのです。