「先生、また来ちゃいました」
診察室のドアを開けながら、そう笑って入ってくる患者さんがいます。もう15年以上のお付き合いになるでしょうか。最初にいらっしゃったときは30代だったのが、今では50代。子どもたちもそれぞれ独立されて、今は夫婦ふたりの生活になったと話してくれました。
はじめまして。東京・文京区で「おだぎり歯科クリニック」を営んでいる小田切陽子と申します。東京医科歯科大学を卒業後、都内の歯科医院で経験を積み、2004年に開業してから今年でちょうど20年あまり。地域に根ざした診療を続けるなかで、日々多くの患者さんと向き合ってきました。
その経験のなかで、ずっと感じていることがあります。「かかりつけ歯医者を持っている方と、そうでない方では、口の中の状態がはっきりと違う」ということです。
この記事では、20年間患者さんを見続けてきた歯科医師の立場から、かかりつけ歯医者を持つことのリアルなメリットをお伝えしていきます。「痛くなったら行けばいい」と思っている方にこそ、読んでいただきたいと思っています。
目次
かかりつけ歯医者とは何か
「かかりつけ医」という言葉は耳慣れているかもしれませんが、「かかりつけ歯科医」については、まだピンとこない方も多いのではないでしょうか。
日本歯科医師会のかかりつけ歯科医について(日本歯科医師会の考え方)によると、かかりつけ歯科医とは「安全・安心な歯科医療の提供のみならず医療・介護に係る幅広い知識と見識を備え、地域住民の生涯に亘る口腔機能の維持・向上をめざし、地域医療の一翼を担う者」と定義されています。
ひと言で言えば、「生涯を通じてあなたの口の健康を継続的にサポートしてくれる、信頼できる身近な歯科医師」ということです。単に治療をするだけでなく、あなたの口の状態の変化を長い目で見守り、必要なタイミングで適切なアドバイスをしてくれる存在です。
かかりつけ歯医者を持つことで変わる、4つのこと
開業してから20年あまり。長く通い続けてくださっている患者さんを診ていると、かかりつけ歯医者を持つことの価値がよくわかります。大きく分けると、以下の4つに集約されます。
- 口の中の「変化」にいち早く気づいてもらえる
- 早期発見・早期治療が当たり前になる
- いざというときに頼れる場所がある
- 全身の健康を一緒に守ってもらえる
それぞれ、詳しくお話ししていきましょう。
「変化」にいち早く気づいてもらえる
歯科の定期検診で最も大切なことのひとつは、「比較できる」という点です。
初めていらっしゃった患者さんのお口の状態と、3か月後、半年後の状態を比べると、小さな変化がよく見えます。「あ、ここの歯茎が少し後退してきたな」「奥歯の噛み合わせが変わってきたかな」——そういった気づきは、長く診ていればいるほど精度が上がります。
これは、初めて来院した患者さんに対して、どんなに優秀な歯科医師でも難しいことです。「以前の状態」という比較軸がないからです。
かかりつけ歯医者がいれば、あなたの口の中の「ベースライン(基準値)」が共有されています。それがあることで、わずかな変化も見逃さずにキャッチできるのです。
私のクリニックでは、患者さんごとの口腔内の写真や検査データを長期にわたって記録しています。「5年前と比べてこの部分が変わりましたね」という会話ができるのは、継続的な関係があるからこそ。これはかかりつけの大切な特権だと思っています。
もうひとつ大切なのは、生活習慣の変化を共有できるという点です。「最近ストレスが多くて……」「仕事が変わって食事が不規則になって」——そんな会話のなかから、口の変化の原因が見えてくることがあります。「そういえば最近忙しいとおっしゃっていましたね。歯ぎしりが強くなっているかもしれませんよ」。こういったやり取りができるのは、患者さんのことを知っているからこそです。初診の歯医者さんに、そこまでのサポートを期待するのはなかなか難しいことですよね。
早期発見・早期治療が当たり前になる
「歯が痛くなったら歯医者へ」——これが多くの方の発想だと思います。でも、残念ながらその考え方は、歯の健康という観点からするとかなりリスクが高いのです。
虫歯も歯周病も、初期段階ではほとんど自覚症状がありません。「痛い」と感じたときには、すでに相当進行していることが多い。虫歯であれば神経近くまで、歯周病であれば骨が溶け始めているケースもあります。
定期的に診ていれば、ごく初期の段階で問題を見つけることができます。初期の虫歯であれば、削らずに経過観察するだけで済むこともありますし、歯肉炎の段階であれば、クリーニングと正しいブラッシング指導だけで改善することも少なくありません。
治療の侵襲も少なく、通院回数も少なく、費用も少なく済む。早期発見のメリットは、患者さんにとって身体的にも経済的にも大きなものです。
よく患者さんに伝えるのが、こんな例えです。「車の点検と一緒です。定期的にメンテナンスしている車と、壊れてから修理に出す車、どちらが長持ちして費用も抑えられると思いますか?」
歯も同じなんですね。
いざというときに頼れる場所がある
これは、患者さんからよく「かかりつけがあってよかった」と言っていただけるポイントです。
ある患者さんは、仕事中に詰め物が取れてしまったとき、「すぐに連絡したら、その日の午後に診てもらえた」とおっしゃっていました。初めての患者さんや予約がない方だと、急患対応は難しい場合も少なくありませんが、長くお付き合いのある患者さんであれば、状況に合わせて柔軟に対応できることがあります。
また、夜間や休日に急に痛みが出たとき、かかりつけ歯医者に電話で相談できるだけで、パニックにならずに済んだという声も多いです。「とりあえずこうしておいてください。明日の朝一番で来てください」という一言が、どれほど心強いか。
さらに、高齢になって体の具合が悪くなったとき、介護が必要になったときにも、長年の関係があると状況を共有しやすく、対応がスムーズになります。最近は訪問歯科診療の需要も増えていますが、もともとかかりつけだった歯科医師が対応してくれるとなると、患者さんも家族も安心感が違います。
また、治療の引き継ぎがしやすいというメリットもあります。仮にかかりつけの歯医者が休院中で別の医療機関を受診せざるを得ないときも、過去の治療歴や使用している素材などの情報があれば、よりスムーズに対応してもらいやすくなります。口の中の治療は「前の治療の続き」であることが多く、治療の歴史を知っているかかりつけがいることは、長期的な治療の質を高めることにも繋がるのです。
全身の健康を一緒に守ってもらえる
「口は万病の入口」という言葉がありますが、近年の医学研究で、これは決して大げさではないとわかってきました。
歯周病と全身疾患の関係については、数多くの研究で関連が示されています。歯周病がある方は、狭心症や心筋梗塞などの心疾患リスクが約1.9倍、脳梗塞リスクが約2.8倍高まるとされています。また、糖尿病との関係も深く、歯周病があるとインスリンの働きが妨げられて血糖コントロールが難しくなる一方、糖尿病があると歯周病が悪化しやすいという「負のスパイラル」があることも明らかになっています。
妊娠中の方にとっても、歯周病は早産や低体重児出産のリスクを高める可能性があります。
こうした口と全身の関係を踏まえると、かかりつけ歯科医は「口の専門家」であると同時に、全身の健康を一緒に考えてくれるパートナーでもあるといえます。
私自身、患者さんのお口の状態から「少し血糖値が気になる変化がありますね、内科の先生にも一度相談してみてください」とお伝えすることがあります。そういった連携ができるのも、継続して診ていればこそです。
実際に、長く通ってくださっている患者さんから「歯の治療をきっかけに糖尿病が見つかった」「血圧のことを気にしてもらって早めに内科に行けた」というお話をいただくことがあります。口の中は、体の状態を映す「鏡」でもあるのです。かかりつけ歯科医は、そのことをいつも念頭に置きながら診療しています。
データで見る「定期検診の差」
かかりつけ歯医者のメリットを客観的に示すデータがあります。
厚生労働省が実施した令和4年歯科疾患実態調査によると、80歳で20本以上の歯が残っている「8020達成者」の割合は51.6%でした。一方、定期検診を受けている人の80歳での平均残存歯数は約15本、受けていない人は約7本という差があることも示されています。
歯の数は、老後の食事の質に直結します。自分の歯でしっかり噛めるということは、食べ物をよく噛んで消化できるだけでなく、脳への刺激にもつながり、認知症予防の観点からも重要だとされています。
また、予防歯科が盛んな欧米との比較も興味深いです。
| 国 | 定期検診受診率 | 80歳の平均残存歯数 |
|---|---|---|
| スウェーデン | 約80% | 約20本 |
| アメリカ | 約70% | 約18本 |
| 日本(最新) | 約64% | 約15本(定期検診受診者) |
スウェーデンは予防歯科の先進国として知られており、80歳でほぼ全ての歯が残っているケースも珍しくありません。日本でも受診率は年々上昇しており(2009年の34.1%から2022年には58%へ)、意識は確実に変わってきていますが、まだまだ欧米には遠い状況です。
かかりつけ歯医者の選び方
「わかった。かかりつけを作ろう」と思っていただいた方に、歯科医師の視点からポイントをお伝えします。
まず最も大切なのは「継続して通いやすいこと」です。立地や診療時間が自分の生活スタイルに合っているかどうかが、長く通い続けられるかどうかを大きく左右します。職場の近くでも自宅の近くでも、定期的に通える場所であることが前提です。
次に、「説明が丁寧かどうか」を見極めてください。治療の方針や現状の口腔状態について、わかりやすく説明してくれるかどうかは、信頼関係を築くうえで欠かせません。
- 口の中の状態を写真や図で説明してくれる
- 治療方針について選択肢を提示してくれる
- 疑問や不安に対してきちんと答えてくれる
- 「何かあったらすぐ連絡を」と言ってくれる
こういった姿勢のある歯科医院は、かかりつけとして信頼できる可能性が高いです。
また、担当の歯科衛生士がいて、継続して担当してくれる体制があると理想的です。歯科衛生士も患者さんの口腔状態の変化を把握できるパートナーになってくれます。
なお、費用が気になる方のために補足しますと、定期検診は保険診療の範囲内で受けることができます。一般的な費用の目安は以下のとおりです。
| 項目 | 費用の目安(保険適用) |
|---|---|
| 口腔内検査・レントゲン | 1,500〜3,000円程度 |
| 歯石除去・クリーニング | 2,000〜3,000円程度 |
| 合計(1回の目安) | 3,000〜5,000円程度 |
費用は医院や口腔内の状態によって異なります。年に3〜4回通って1万円前後と考えると、将来の高額な治療を防ぐための投資としては、十分元が取れると思っています。
かかりつけ歯医者を持つことのデメリットも正直にお話しします
良いことばかり言うのも私らしくないので、デメリットも正直にお話しします。
まず、費用の問題。定期検診には保険診療の範囲内でも費用がかかります(一般的に1回3,000〜5,000円程度)。年に3〜4回通えば、年間1万円以上の出費になります。とはいえ、虫歯が悪化して根管治療や被せ物が必要になったとき、あるいは歯を失ってインプラントや入れ歯が必要になったときの費用と比べると、定期検診のコストははるかに小さいものです。
次に、合う・合わないの問題。かかりつけを決めたからといって、一生その歯科医院に通わなければならないわけではありません。もし「この先生とは合わないな」と感じたら、別の歯科医院にかかることは当然の権利です。最初はいくつか比べてみるのも良いと思います。
まとめ
20年間、多くの患者さんと向き合ってきて、私が確信していることがあります。それは「かかりつけ歯医者との長い関係が、その人の口の健康を守る」ということです。
「痛いから行く」から「健康を守るために行く」への意識の転換——これが、老後も自分の歯で美味しいものを食べ続けるための鍵です。
最初の一歩は難しくないんです。「近くの歯科医院に、まず検診で行ってみる」それだけでいい。続けるうちに、信頼できる関係が少しずつできていきます。
この記事を読んで、「そういえばしばらく歯医者に行っていないな」と思った方がいれば、ぜひこの機会に歯科検診の予約を入れてみてください。20年後の自分の歯のために、今日の一歩が大切です。